ニューヨーク遊学と「帰国ファッションショー」 1950-51

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 ニュウヨーク遊学 (1950年9月-1951年6月迄)

●「十二単衣から現代まで」と題し、日本伝統の着物と自作のニュー・キモノ・ショーを
ブルックリン博物館、国連婦人会、ニューヨーク大学、日本婦人会で開く。

●ニューヨーク大学で意匠学を学ぶ。

●アトランティック・シティに於ける「国際ファッション・ショー」にも参加。

1951年6月、ニューヨークより帰国

●10月、毎日新聞社主催、日本で始めてプロのモデルを使って、「帰国ファッション・ショー」を開催



ニューヨーク・タイムズ誌に紹介
された田中千代 1950年10月

・・・向上を求め有意義な毎日を過
ごしていた私にも第二次世界大戦
は爆弾を投下し空虚な停滞を余儀
なくさせた。
栄養失調から片目を喪失し、服飾
の仕事から手を引こうとさえ思った
しかし、新しい教育制度から各地に
女子大学も出来、被服科や意匠科
も設置されるようになった。
40歳を過ぎた私だがそうもして
いられない事を直感し、再び学生
となりニューヨーク大学で学ぶ事を
決意した。
そして1950年米軍艦に乗りアメリカ
に向かった。
335ページにわたる厚い要覧は、
朝9時から夜10時までぎっしり講義
で埋めつくされていた。特に夜間部
として区別されていないので夜間、
土曜日、夏期講習と巧に組合わせ
れば、働きながら卒業することも可
能であった。私は、基礎デザインの
TとU、舞台衣装講座、演劇服装
史、コスチューム・デザイン講座、
消費者・購買者の問題論など
一週間に18〜20時間の講義に
2セメスター通うことになった。
特別海外留学生という立場上、
毎日出席簿や態度が事務所から
移民局に渡されるので、厳しい勉
学がしいられた。(学園50年史より)


1951年5月 ニューヨーク大学留学
中試験の疲れを癒す憩いのひと時
コニーアイランドにて


ニューヨーク大学のカール・ポッズ
教授 (右)

ニューヨーク大学での一番印象深
い授業は、カール・ポッズ教授によ
るデザインの授業であった。
実技が主で朝から昼すぎまでの約
4時間が必要とされていた。
オリエンテーション時に、4時間の緊
張と集中可能な学生という事が言
い含められたが、この長時間はや
むをえなかった。太陽光線と物体
の影の変化を平面にうつすなどとい
うこともさせられた。

 甘くみていたのは演劇服装史で
あった。レポートや試験は難題で
はないが、特殊な劇ともなると、重
要人物、時代背景など読書力に欠
けるので充分理解出来なかった、
考えあぐねた結果、日本書籍のあ
るワシントンの国会図書館に通う
事もしばしばであった。
広い分野に渡るここでの勉学は、
帰国後、大学の講師としてこの内
容を充実させる事に大きく役立った
(田中千代学園五十年史より)


ニューヨーク大学での授業風景
(1950年)


●母校トラペーゲン・スクールで
ニューキモノのショーを催す
(楽屋風景)


1950年9月●ニューヨークの
ブルックリン・ミュージアムでニュー
キモノと伝統衣装のショーを行う
右から山口淑子さん(李香蘭)
伊藤テイコ夫人、千代、
峰島夫人(オペラ歌手宮川美子さん)
湯川秀樹氏夫人スミさん

モデルになってくださった方や、
イサム野口氏、猪熊弦一郎氏夫妻
が私の始めてのニューヨークでの
ショーに協力して励まして下さった。


●アトランティックシティにおける
[第1回国際ファッションショー]
に招待出品 1951年3月
インタビューを受ける千代


1951年6月、ニューヨークより帰国


●10月、毎日新聞社主催、日本で
始めてプロのモデルを使って
「帰国ファッションショー」を開催
(東京・帝国劇場、大阪・メトロ)

[帰国ファッションショー]作品
「森の精」 
[帰国ファッションショー]作品
「グランドワルツ」 
「グランドワルツ」(1982年復元)

帝國劇場でのフィナーレ

大阪・メトロでのフィナーレ