田中千代・民俗衣装・コレクション

日本 (Japan)
沖縄



(1941年収集)

[衣装の名称]
 藍型のチン


 沖縄のキモノは「チン」と総称され、日本本土のキモノの基本形に属するが、礼装、平常着の別など用途によって袖の長短があるほか、着付け方がかなり違っている。
 普通、帯は用いず、「ハキャマ (袴=下ばき)」にはさみ込んで着る。この着付け方を「ウシンチー (押し抜き) 」といい、古くは左前あわせ (左袵) に着用したため、左脇にはさみ、現在では (1961年) 殆どみな右あわせ (右袵) に着るので、右脇に挟んで着る。
 普通「チン」には単衣 (ひとえ) と袷 (あわせ) とがある。又、外出用、祝儀用、葬儀用などに、どこも止めずに羽織る「ウッチャキー (裲襠=うちかけ)」という着方もある。この写真はウッチャキーの着方であるので挟み込みがされていない。
 この標本は上等の夏衣装で、木綿 (ムミン) 地に梅、鶴、もみじ等の模様を藍 (エー又はツェー) 一色で両面染めにしたもので、この染を藍型 (エーガタ) と言う。
 藍型は紅型 (ビンガタ) と共に有名な染物である。


日本 (Japan)
沖縄



(1941年収集)

[衣装の名称]
 紅型のチン


 これは平織木綿の夏衣装で、朱、緑、橙、藍、などの色を使って花模様を染め出してある。このような、藍一色以外の多色を使った染めを紅型 (ビンガタ) と言う。
 沖縄のキモノの構造は本土のキモノに似ているが、袖口は袖下まで開き、袖付けは付詰で、振りや身八つ口がなく、また後巾や前巾、衿巾が広い。広い衿が裾近くまで付いており、衿下は短い。
 この着付けは「ウシンチー」で、帯を用いず、「ハキャマ」という下ばきにはさみ込んで着る。手に持つのは「ティサージ」である。

 (以上の説明文中の服飾関係の呼び名の発音は主に沖縄本島のものである)。


日本 (Japan)
沖縄


(1941年収集)

[衣装の名称]
「アーシ・ジン」


 平織木綿の袷 (アーシ・ジン) で、チンの上に重ねる寒い季節の典型的な衣服である。冬の基調色の紺で統一されているが、赤、黄、の糸で縦縞が織込まれ、白、黄、赤系の織込み模様が美しい。裏は、衿と袵、袖口 (巾15cm) には、平織木綿に黄、朱、紺、紫などの配色の紅型 (ビンガタ) が用いられている。この他、身頃全体に平織木綿に花菱のような柄の藍型の布の裏が付けられている。

[沖縄の染織]
 沖縄は明治政権確立以前は漢名で琉球と呼ばれ、日本本土の文化から隔絶していたばかりでなく、南方と中国との交流が盛んで、その影響を強く受けたので、住民は大和民族と同一系統に属するにもかかわらず、文化的には大きな相違がある。いわゆる為朝伝説に従えば、源為朝の子孫が琉球王朝を開いたのは13世紀半ばの事で、沖縄の言語が現代の日本語と少し違った発音を温存しているのから見ても、古代日本文化の影響が深いことは知られるが、多年日本と絶縁して明 (ミン) に朝貢したので、中国文化の影響を受け、14世紀から15世紀にかけては、盛んに東南アジア各地と通商して南方文化を摂取した。15世紀半ばに尚王朝が起って首里に都したが、1606年島津藩の討伐を受けて日本に従属し、1872年 (明治5年) 琉球藩が置かれ、尚王家は華族に列せられた。1879年沖縄県制に変更されている。この沖縄略史からも察知されるように、沖縄の服飾は最初に南方系のイカット絣 (結び防染法による絣の技術) を学び、次いで中国系の紋織りを、中国の官制による琉球ファチマチや官服と共に、首里の王朝を中心に上流階級に取り入れた。次いで17世紀に入ってから、大和系 (沖縄では古来、日本を「ヤマト」と呼んだ) の色染めの技術や、紬織が伝えられ、同時に日本固有の図案、特に絣の図案も入って沖縄の染色界を豊富にしたと言うよりは、むしろ沖縄はこれら三つの系統を融合して独特な味わい深いものを創り出し、世界に稀な高度の染織文化権を築いたと言える。

沖縄の衣服へ

日本 (Japan)
沖縄  [ティサージ]



 手巾 (ティサージ) は手拭かハンカチーフに相当する重要なアクセサリーで、沖縄独特の手芸品である。「サージ」は本来織物の意で、平織木綿 (又は麻) に紺、白、紫、朱、緑などの毛糸で、幾何学模様が刺繍のような効果のある縫取織の手法で織込まれている。地色は白と黒の二種である。手にもったり、肩にかけたりして愛用される。手巾は沖縄で最も古い織物で、与那国島と本島の読谷村 (那覇の北方) が主産地で、特に花織手巾 (ハナウイ・ティサージ) と呼ばれ、娘が心を込めて兄弟の旅の安全や、恋人の愛のために織った特定の相手のある手芸である。そのせつなさは「ウムイ (ナサキ) ・ヌ・ティサージ」 (思い、(情け)の手巾) という表現によつても知られる。
 (以上の説明文中の服飾関係の呼び名の発音は主に沖縄本島のものである)。


日本 (Japan)
秋田県



(1939年収集)

[農村の働き着]
 
[衣装の構成]
野良着(腰切、刺子の施された野良着は ツヅレとも言う)
股引
帯 (オビタナ)
前掛 (マエダレ)
手甲 (コテ)
手拭い

草履

菱刺の前掛 部分


 日本の農村の働き着の例を秋田県にとってみた。
 布地はすべて藍染めの木綿である。股引 (同じ東北地方にも様々な型と名称がある) は布を2枚重ね、上から白木綿糸で縦に0.8cm間隔に刺子がしてある。丈90cmで、裾はくるぶしに達し、非常に細く、脚にぴったりつくよう仕立てられている。屈伸が自由に出来るよう、殆ど二つの脚は離れており、短い股上で接ぎ合せてある。
 キモノは股引と同じ刺し子の布を用いている。袵 (オクミ) がなく、筒袖が付き、腋下に"マチ"が入っている。衿下なしで裾まで衿が付いている半纏のような仕立ての野良着である。丈の短いキモノなので、普通、「腰切」と呼ばれ、腋裾に18cmのスリットが入っている。スリット止まりから裾廻り、袖口廻りに藍木綿で縁取りされている。
 この腰切の寸法は、身丈95cm、袖丈、23cm、袖巾26cm、肩巾29cm、衿肩明8.5cm、後巾29cm、前巾24cm、衿巾5.5cm。
 前掛 (マエブリ) は、布は身頃と同じであるが、二重の布の上から白木綿糸で菱形模様の刺子[菱刺]が施されている。寸法は長さ50cm、巾55cmで、巾は縦に3枚の布を接ぎ合せて作られ、両脇寄りの切替を利用して裾上がり7cmのスリット明きになっている。
 帯 (オビタナ) は絞染めの入った藍木綿地で、丈190cm、巾34cmで、丈のほぼ中央辺りに巾30cm、丈38cmの布を重ねて、白木綿糸で縫付けてある。
 手甲 (コテ) は腕にぴったりするように仕立てられ、身頃と同じ刺し方の布を用い、手首から甲にかけては、細かい凝った模様の刺子 (じぐざぐの菱繋ぎの刺子) の布が取り付けてある。手首には木綿の紐がつき、腕の上端には麻紐がつき、それぞれ巻くようにしてある。この標本は小保内で1939年に入手したもので、戦前の健康な美しさにあふれた農村衣服といえる。


ツヅレ (2枚重ねて刺子をほどこした仕事着) 刺子のモモヒキ 前掛 (マエダレ)
農婦の帯 (オビタナ) 手甲 (コテ)


日本 (Japan)
千葉県御宿


(1939年収集)

[漁村の働き着]
 

舳倉島の「サイジ」



 漁村の女性の風俗の一例として、千葉県御宿の海女 (アマ) の服装を取り上げてみた。日本の海岸ではひろく海藻や魚貝をとるために海士 (男) 、海女 (女) が潜水漁を行っているが、特に海女の活躍は千葉県 (房州海岸)、石川県 (舳倉島=ヘクラ島)、静岡県 (伊豆)、三重県 (伊勢・志摩)、山口県 (大浦)、福岡県 (鐘崎)、福井県 (雄島) などに見られ、アワビの採取が主目的である。
 ここに示す房州の海女は戦前から近年 (1961年)まで、下体に色模様のパンティをつけただけで潜水していたが、最近では上身を露出しないようになった。
 浜では木綿の紺絣の筒袖を着て細帯をしめ、水からあがった時は焚火を囲んで集団的に暖を取る。伊勢・志摩の海女は古くから肌をあらわさず、白襦袢を着て上品に作業していた。一つには養殖真珠用の稚貝採集が主な仕事であった時期の集団的訓練の結果かとも思われる。最も野生をおびているのは舳倉島で、潜水するときは「サイジ」と呼ぶ褌しか身につけていない。このサイジは裸女にとって唯一の服飾であるから丹精こめて刺子 (刺繍) の技を振るったもので、最高の民芸品の一つであるが、戦後は実用化され「サイジ」に丹精込めるものは無くなった。

日本の働き着

岩手県 宮城県 山形県
三重県 秋田県 (わらぐつ等) 青森県 (藁製履き物)


日本 (Japan)
北海道、アイヌ


(1939年収集)

[衣装の構成]
キモノ
 (アットウシ・アミプ attush-amip)

頭飾り
 (マタンプシ)
 


 これは厚司織の服に頭飾りを付けた成年男子の正装である。厚司織は「アツニ」と呼ばれる楡 (ニレ) の一種「オヒョウダモ」や「チキサニ」と呼ばれる樹や、同じく楡科の「アカダモ」などの樹皮から取れる繊維を平織にしたもので、アイヌ族本来の唯一の衣料である。この布地に日本本土から入った無地の紺木綿を、背、裾、袖口、に色々の形に切ってアップリケし、その上に更に白のタコ糸でチェーン・ステッチとコーティング刺繍 (チニンニヌプ) したものである。寸法は丈120cm、後巾30cm、前巾30cm、袵 (オクミ) なく、袖丈29cm、衿下70cmである。頭飾りは木の茎から作られる縄状の鉢巻で、正面に木彫りの熊の頭を付けている。

 (この写真にある首飾りは、女性用のもので、撮影時間違って着けたものである。)


日本 (Japan)
北海道、アイヌ


(1939年収集)

[衣装名]
 (レタラ・チカラカラペ 白文様衣)


 アイヌの衣服の事を、アミップ又はチミップといい、アイヌ語で「我らが着るもの」と言う意味である。アイヌの衣服を大きく二つに分けると、アイヌ本来の「厚司」と、本土から入った木綿布で仕立てられた「チカラカラペ」になる。両者の違いは布地だけでなく、アップリケされた柄にもあり、前者は直線的、後者は曲線的な柄の場合が多い。
 この標本は紺を主とした木綿地に、白木綿でアイヌ独特の模様、モレウ (渦巻き) 柄をアップリケし、その上に「押え刺繍 (コーティング)」を施したものである。このようなコーティングを「チニンヌプ (刺子の意)」と言う。本図のように紺地に白を主体としてアップリケした衣服を「レタラ・チカラカラペ」といい、式服として用い、白地に黒模様をアップリケした衣服を「クンネ・チカラカラペ」といい、普通の盛装に用いている。
 服の構造は和服のような衿や袵はなく、裄 (ユキ) や丈も短かく、もじり袖の場合が多い。この服の寸法は、身丈123cm、後巾32cm、前巾33cmで、袵がなく、衿肩明きには後にのみ別衿が付き、前は身頃の続きが衿のようになっている。袖巾は33cm、袖口12cmの船底型である。

アイヌの衣服と民具へ