田中千代・モードのあゆみ





デザインとの出会い

1928年、芸術の花咲くパリで一人になった私は、音楽に涙を流し、絵画の前で緊張と興奮を覚え、オートクチュール作品には芸術と技術の結合を感じた。これらを人生の合唱のように思い、私の胸はふくらんでいった。しかし、下宿生活をしながらのフランス語勉強の現実は厳しかった。今おもえば、夢に振りまわされていたようなものだが、若い私はこんな中で、何かを求めながらそれ迄の自分の生き方に反撥し、無意義さと虚しさに焦りが加わっていった。

そんな時、ボーグ誌に掲載されたオットー・ハスハイエ教授のデザインに深く感銘し、彼の経営する学校「モーデ・ウント・トラハト・シューレ」への入学依頼の手紙を出した。
しばらくしてチューリッヒの先生からすぐに来なさいという国際電話がかかり、私がこの道を進む運命となった。

このハスハイエ先生との出会いは、私にとってまたとない一生の方向づけをさせる贈りものとなり、同時にデザインとの出会いともなった。


カネボウとの出会い

3年半の欧米留学を終え、ニューヨークからサンフランシスコまでの大陸横断ドライブをして帰国船上の人となった。
横浜到着の日に着る洋服をデッキの上で一心に縫っている変った乗客の私に声をかけて下さったのがカネボウ創設者武藤山治氏夫人千世子さんだった。船の揺れる日にも絶えず励まして下さる心温かい夫人との出会いは、初旅の良き思い出となり、これがカネボウとの出会いともなった。

アイディアマンであり、先を見通す津田信吾社長は、紡績会社と消費者を直結させる場を作りたいという構想から、心斎橋にカネボウ・サービス・ステーションを開店した。神戸に移ってまもなく、千世子夫人の依頼で開店の日にお手伝いすることになった。途切れのないお客様の注文、採寸、デザイン、買い上げられた布地の無料裁断などに追われる毎日となり、いつしかカネボウに通ってしまった。そして今日まで50年、顧問という大役まで仰せつかっているわたしである。
                     
     
(1982年 学園創立「50年史」より)



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